韓国 HBS弘通史


本門佛立宗の韓国弘通は大きく戦前と戦後にわけられます。

戦前の弘通

1905(明治38)年頃 釜山における都木清庄氏の下種により、朝鮮半島のご弘通ははじまります。
1912(大正元)年 安田現素師(後の日洲上人)が釜山へ移住。弘通活動を開催され、これによって弘通の基盤が確立されます。
1915(大正4)年 松本清学師が来朝。釜山で弘通を始められるようになります。
1916(大正5)年 安田現素師は京城(今のソウル)で布教をはじめられ、釜山と京城で布教所設立の許可をいただく運びとなります。
この頃、高官貴族の一人李夏栄(外務・法部大臣)氏が渡邊鷹次郎氏の教化により入信。彼の別荘を京城親会場とすることにより、朝鮮の弘通はますます伸展していくことになります。
1917(大正6)年 10月19日から11月5日まで、佛立第三世講有野原日随上人が京城と釜山をご巡教されます。
1920(大正9)年 釜山に長松寺が建立されます。
当時乗泉寺信徒の藤田昌子氏のご縁により、李王朝の外護を得て、1919年高宗皇帝のお葬式の祭壇として使用された、木材と李王朝の所有地約200坪をご有志いただき、京城鶴松寺建立が始められます。
1926(大正15)年 安田日洲上人の御遷化。(5月9日・行年59歳)
京城鶴松寺第二世住職に御牧清勤師(後の佛立第十二世日宥上人)が就任されます。
1929(昭和4)年 9月佛立第七世講有日淳上人が釜山・京城・満洲等 をご巡教されます。
1931(昭和6)年 釜山支部晋洲親会場建立され、開筵式が行われます。
1934(昭和9)年 岡野清性師(後の日真上人)が鶴松寺の第三世住職 に就任されます。
1936(昭和11)年 9月満洲国安東支部日教寺開筵式を時の講有佛立第九世亀井日聲上人ご新修のもと奉修されます。
1937(昭和12)年 10月京城の龍山(ヨンサン)に親会場が建立され開筵式が奉修されました。
1938(昭和13)年 朝鮮半島全国に五ヵ寺院と七つの地方に特別組ができるまで、弘通が伸展してきました。
1942(昭和17)年 5月佛立第七世講有日淳上人が京城の鶴松寺と龍山親会場にご巡教され、門祖会と安田日洲上人の十七回忌をお勤めになられました。
1945(昭和20)年 ・終戦とともに、日本人の帰国により、各地にあった佛立宗の寺院も国へあけ渡されることになります。
 
戦後の弘通  
 
鶴松寺の住職岡野清性師は日本へ帰国をされるとき、鶴松寺の後を韓国のご信者であった、姜乙先姉に託されました。お寺があけ渡されるとき、庫裡の御本尊と御戒壇一式だけは、無事に運び出しましたが、1950(昭和25)年の朝鮮動乱によって、鶴松寺は焼失してしまいました。
姜姉は御本尊と御戒壇を護持しながら避難生活を送り、苦難の末1962(昭和37)年ソウル東大門の近くに仮道場を設けられ、再び佛立宗のご弘通がはじめられました。
 
1963(昭和38)年 4月姜乙先姉が本山宥清寺にて、佛立第十五世田中日晨上人より剃髪得度されました。僧名「エ性」。
1966(昭和41)年 終戦後はじめて福岡日住上人と植田日朝上人が鶴松寺に参詣されました。
続いて西村日地上人(後の佛立第十八世講有)加藤日類上人が度々訪韓され、韓国の教講にご教導されました。
 1970(昭和45)年 宗門外護のため「社団法人韓国佛教本門佛立会」を創立しました。
鶴松寺は清涼里の仮道場から現在の議政府市へ移転しました。
 1973 (昭和48)年 西村日地上人のご教導のもと、大阪清風寺より陳淳永師が、釜山へわたり佛立寺を建立しました。また、ソウルでは新清寺が建立されました。また、加藤日類上人のご教導のもと大法寺と本門寺も 建立されました。
現在はこの五ヵ寺がそれぞれご弘通に励んでおります。

 


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